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発明

創る −発明家通賢−

栄左衛門は、測量器具にみられるように、機械・機構の独創的な発明・改良を多数行っている。牛を使った灌漑用水揚機や和時計の原理を応用した煽風器(扇風機)なども注目される発明であるが、生涯を通じて精力的に発明・工夫をしたのは、銃砲を中心とする武器類であった。

文化4年(1807)、船で来航する諸外国に対抗するため、火気を備えた軍艦を建造することを唱えた「戦船作積覚」や様々な武器について論述した「武備機械鉤玄」を著した後、武器、中でも銃砲の改良に力をいれるようになる。火縄銃の速射から始まった栄左衛門の工夫は、ゼンマイを応用して燧石から着火をする「鋼輪」の発明につながり、これを応用した銃「輪燧佩銃」などが生まれた。

その他に簡易に操ることができる自動弓「諸葛弩」や「讃弩」の発明を行い、文政6年(1823)には藩主の前で砲術披露を行う機会を得る。これを機に栄左衛門の砲術開発は促進され、風砲の製造、大型銃砲の製造と砲撃方法の研究などがすすめられた。

さらに栄左衛門は、天保9年(1838)に藩より命じられた慴付木の製造に取り組み、その結果雷汞の製法を発明する。これを銃砲に応用し、生火銃、掌中銃、鑓間銃などを生み出した。栄左衛門は雷汞製造および銃砲への応用を行った最初の日本人となろう。


(香川県歴史博物館編『久米栄左衛門〜創造と開発の生涯〜』(2002)p.71より抜粋)

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