VT法を用いた日本語音声教育の実践報告

兵庫県国際交流協会日本語教師連絡会議VTM研究会
石垣恵里子・斉藤明子(神戸YWCA)・長井克己(関西外大)

1. はじめに

 VT法(Verbo-Tonal Method)は言調聴覚論(Verbo-Tonal System)を基礎とした発音指導方法である.この理論は1950年代既に「音声言語を言語外要素(場面,状況,身ぶり,表情,情緒)をも含む全体構造として捉える,そして知覚をコミュニケーション連鎖(発出―伝送―知覚―再生)の基本の環と設定する(ロベルジュ編1994:160)」ことを主張し,現在も現場の教師による指導法の改良が続けられている.しかし,用語がやや難解なことやSUVAGと呼ばれる機器が手に入りにくいこともあり,導入に踏み切れずにいる教師も多いと思われる.本発表ではVT法の理論とリズムに関する実験を紹介した後,実際に行った日本語の発音指導の一例を報告する.

2. VT法の特徴

2.1. 音声言語とその聴き取りを重視する

 文字を持たない言語の例を引くまでもなく,音声はコミュニケーションの基本であり,聞き話すことが読み書きに優先せねばならない.話し手は常に自分の発話を物理的・心理的にフィードバックして聴いているため,自分の声が時間的・成分的に変調されると正しく発話できないことが知られているが,外国語学習の場合は母語の影響で自分の発音を正しく知覚できないことも予想され,「ことばの鎖(speech chain)」は母語発話の際とは異なった制約を受ける可能性がある.言調聴覚論でも話し手が同時に聴き手であることを重視し,正確な発音のための正確な聴き取りを重視し,学習者にとって最も教育効果の高い,最適な(optimal)聴き取りを導いて「聴覚の再構成」を図る.文字や記号に頼らずに学習者が聴き取りに集中でき,過剰な情報による誤ったスキーマ形成(中島1996)を排除するように工夫された絵が併用されることも多い.学習者の誤りは置き換え(substitutions)の体系として整理されており,従来型の母語干渉・誤答分析の研究では対応しにくい発音についても,変形発音(modified pronunciation)と呼ばれる手法で指導が可能となることが多い.

2.2. 身体の運動は音声言語の原点であるとする

 全身を動かせば,当然同時に調音器官も動き,刺激される.言調聴覚論では調音器官の動き(micromotoricity)と身体の動き(macromotoricity)の相互の影響に注目し,正しい発音を効果的に誘導・促進する身体の動きを身体リズム運動(body movement)として積極的に取り入れる立場を取る.ヒトの運動は複数の関節から生じる自由度の高い(可能な動かし方が無数に存在する)ものであり,多様な音素やかぶせ音素(リズムやイントネーション)と身体の動きを直接結びつけるのは難しい.VT法は「弛緩と緊張(slack and stiff)」の概念を用いて身体の運動と調音の関係を説明することに成功しており,学習者の抱える問題点と教師の行うべき指導がこれらの概念で統一的に説明される.  ただし,精神的緊張・筋肉の生理的緊張・音韻論的緊張のいずれもが調音時に関与するため,弛緩と緊張を定義することは容易ではない.静止は動きの一部となり,主観的にリラックスした静止と緊張を伴う静止の区別も行われる.「緊張は経験を通して感じられるものである.教師の仕事は,生徒に音声的緊張と弛緩を感じさせることである(ロベルジュ1995:127)」とも言われる.以下はロベルジュ(1995:128ff.)を参考にした緊張の度合の目安(案)であるが,実際の指導についてはロベルジュ・木村(1990)等を参照されたい.

2.3. 音声言語の韻律的特長を重視する

 [l]と[r]や[v]と[b]に代表される単音の指導に比べ,分節できない(suprasegmental)リズムやイントネーション等の韻律的特長(prosodic features)は指導の困難さから後回しにされがちである.VT法による発音指導ではこれを自然なコミュニケーションのために優先し,身体リズム運動やわらべうたのリズムを活用しながら,より自然な音声を導きだすよう工夫している.古くから親しまれているわらべうたは生き生きとしたリズムを持つものが多いため,これらのメロディを取り去り,わらべうたリズム(nursery rhyme rhythm)として積極的に利用する.状況に応じて喜怒哀楽を伴った情緒性(affectivity)ある表現を取り入れたり,低い周波数のみを通過させるフィルタ(LPF)を利用してプロソディのみに注目させるたりする工夫も行われる(Figure 1,Figure 2).帯域フィルタによって効果的な音声を提示するSUVAG機器も開発されている.木村(1997b)を参考に「伝承わらべうた」の不足を補う「創作わらべうた」教材を作成することもできる.
Figure 1 疑問文「今日は阪神で来たんですか」は,感嘆文とは異なる特徴を持つ.
Figure 2 300Hz以上をカットしても文の韻律的特徴は残存しており,教材として利用できる.

3. リズムを調べる

3.1. リズムと時間

 規則的な繰り返しを必要とし,「良い」「快い」等の主観的評価を伴うことから,リズムは時間軸上に形成される「形」「枠組み」であると言うことができる.音声リズムの性質を明らかにすることはVT法における身体運動やわらべうたリズムの基礎研究として重要である.
 音声でリズムを感じるためには繰り返す音が聞こえねばならないが,あまりに短い音だと繰り返しに聞こえない.短いクリック音を2つ並べる場合,その間隔が1~2ms程度以下になると2つの音には感じられず1つの音として聴こえる(Green 1971,寺西1984).2つの音の高さや方向の順序関係まで聴き取ろうとすると,更に長い20ms程度の時間が必要となる(Hirsh & Sherrick 1961).クリック音が3つの場合,20ms間隔で並べても3つとは知覚できず2つに聴こえてしまうので,間隔を50ms程度に広げる必要がある(Cheatham and White 1954).一般に,提示される音を一つ一つ聴き取るには100~200ms程度の間隔が必要になる(Warren 1993).例えば,正弦波・方形波・雑音等の4種類の音を順番に提示して順序判断を求める場合,300ms以上の音の持続が必要となる(Warren 1969).ところが提示する刺激音に母音音声を用いると順序判断に必要な長さは半分程度に激減する(寺西1977)ことから,音声は一つの流れ(stream)を構成し,その中での判断は容易になると考えられる(Bregman 1990).ヒトの耳は音声の聴き取りに対して高い性能を発揮するように特化されていることになる.
 複数の刺激を一つにまとめる,幾つかの単位としてまとめて知覚することもリズム知覚の基本となるが,そのために必要な時間は2つの音を聴き分ける場合よりも長くなる.ボールペンで机をコッコッとたたいてみれば分かるが,2つのクリックの間隔が逆に2秒も3秒も開いてしまうと前後のつながりが感じられずリズムを感じなくなってしまう.テンポを様々に変化させたメロディの知覚実験でも,曲名が分かるのは一音符あたり160~1200ms程度の範囲である(Warren 1991)ので,2つの音の前後関係が聴き取れる50msから1500ms程度がリズムの生じる範囲であると考えられる.

3.2. リズムと群化

 物理的時間長に対する主観的な音の長さのベキは0.9~1.1程度である言われており,視覚における線分の長さと同様にほぼリニアな知覚と見てよさそうである.ただし,視覚と同様に聴覚においても錯覚現象が生じることが知られており,ある時間長と同じ長さであると主観的に判断される長さは600ms程度を境にしてそれより短い場合は過大評価され,長い場合は過小評価される(Woodrow 1951).クリックで区切られた時間よりも連続音の方が長く感じられるのも600ms以上の場合である(阿部1936).3つの短い音で60msと120msに区切られた区間を作る場合は,後ろの120msは70~80ms程度に過小評価される(Nakajima 1991).4つの短い音で3つの区切られた区間を作ると,1番目と3番目の区間が等しい長さの場合は時間の過小評価が見られない(末富・中島1997)ことは,1番目と3番目の音が知覚的に結びつくからであると考えられる.
 音を時間軸上で群化していくことはリズム知覚の基本であるが,リズムを時間軸上のゲシュタルトであると捉えると「良い」形が単純性・均等性・対称性等を持ち,近接する音や類似の音は群化しやすいだろうと予想できる.例えば,Figure 3のようなリズムパタンの中では,対称性のあるリズムや応援合戦のようなリズムは,より正確にタッピングが行われる (長井1999).音に格子を当てはめ階層を作ることにより,リズムの構造を形式化する試みも行われている(Povel 1984, Lee 1985, Lerdel & Jackendoff 1983)
Figure 3 様々なリズムパタン再生の正確さ(長井1999)

 音声だけがリズム生成・知覚の例外であると考える理由はない.近接した音が群化して音節や韻律句を作り,音韻論的リズムの単位として機能するのはむしろ自然なことと考えられる.音声のリズムが生む時間の格子も「良い形」,即ち「単純・均質・対称」性を志向するのであれば,何度も同じ句を繰り返して発話すると特定の音節の出現位置が繰り返しにより生じる周期の中央(1/2)や3分点(1/3, 2/3)に偏る(Port, et.al. 1998)ことも当然予想される.繰り返し周期の1/2の地点に短いbeepを提示するとその位置に強勢を担う音節が引き付けられる(Cummins & Port 1998, Tajima 1998).長井(to appear)は繰り返しにより生じるリズムと,そのテンポやタイミングのずれとの関係を調べている.
 発音指導に用いるリズム運動やわらべ歌を創作する際,音声の場合,リズムの形,すなわち格子の当てはめは音韻論的分節の作業と不可分となるが,日本語ではモーラの役割が決定的である.モーラ単位の等時性は一般に否定されしばしば批判の的となるが(Beckman 1984),モーラの数が日本語音声の物理的時間長に影響を与えることは事実であり(Port, Dalby & O'Dell 1987),その教育的価値は軽視できない.これらの先行研究はリズムのパタンや速度の決定にヒントを与えるものであると考えられる.
Figure 4 「はだかがた」を基準音に合わせて繰り返し,各拍の生起タイミングを調べる.基準音からのずれを無視すると各拍がテンポに関わりなく安定していることが分かる(長井to appear).

4. VT法による発音指導の実際

4.1. 学習者について

 1997年9月から1998年2月まで,月2回の全12回,緊張から来る不自然さが多く見られたので,主に緊張を取ることによって日本語らしさを意識させることを主眼とした指導を行った.
 学習者は中国海南省出身20代後半の男性.1997年6月来日,1ヵ月半の日本語集中講座受講(初級).同年8月から日本企業(コンピュータ関係)での研修,1998年3月帰国.日本語の環境としては,住居は各国研修員の住む寮で,使用言語は中国語か英語.研修先の企業では休憩時間に日本語で話す程度.日本人の中で日本語を用いて生活している状況ではない.

4.2. 指導内容

4.3. 指導を終えて

 この学習者は緊張から来る不自然さが多く見られたが,学習者によっては弛緩から来る不自然さが多いケース,また緊張弛緩の入り交じるケースもある.その音が何が原因によって生じるか,教師は判断しなければならない.学習者の音を聞いてそれを真似ることにより,調音器官だけでなく,身体全体の状態を知ることが重要になる.そのためには継続的なトレーニングが欠かせないので,当研究会ではメンバーの日本語教師が集まって月2回程度,実際に学習者を矯正する研究会を行っている.矯正の実際をビデオに記録し,矯正方法を検討し合ってメンバーが矯正体験を共有できるようにしている.
 今回発表したビデオも,このような研究会の最初のもので,教師たちはいろいろな方法を試みた.効果があった場合もあり,そうでなかった場合もある.それらを検討し,経験を共有し合っている.
 身体のサインを用いることは,学習者が自身の音の不自然さに気がついた後,自分で音を治すときにも役立つ.また,クラスの中でも教師がそのサインを送ることにより,学習者がその音をすぐに矯正することができるメリットがある.発音のための特別なカリキュラムを組むことは,なかなか難しいが,この方法を用いた場合,特別な発音のための授業はコースの最初には必要であるが,後はカリキュラムの中で矯正していける部分が多い.

5. 参考文献

リズムと時間の研究に関する文献は,大山・今井・和気編「新編知覚感覚ハンドブック」(誠心書房1994),松田・調枝・甲村・神宮・山崎・平編「心理的時間-その広くて深いなぞ-.」(北大路書房1998)等を参照.時間縮小錯覚に関する最新の研究としてRemijn, et.al. (1999) "On the robustness of time-shrinking." Journal of the Acoustical Society of Japan (E) 20:365-574もある.中島(1996)は中島義明.1996.映像の心理学.サイエンス社.のこと
 言調聴覚論の研究組織として日本言調聴覚論協会(The Japan Association for the Verbo-Tonal Method, 略称JAVET)があり,毎年研究大会が開かれている.事務局は拓殖大学外国語学部木村研究室(〒193-8585八王子市舘町815-1).関東学園ヴェルボトナル研究所はホームページを設けている(http://www.kanto-gakuen.ac.jp/verbo/verbo.htm).興味を持たれた日本語教師の方々のために,その他の参考資料を以下に挙げる.

 川口義一.1987. 発音指導の一方法.講座日本語教育.23. 48-63. 早稲田大学語学教育研究所.
 北原一敏,内藤史郎編. 1981. 話しことばの原理と教育-言調聴覚法の理論. 明治図書.
 木村政康.1997a.「VT法を使った発音指導の実際.」月刊日本語.2月号:24-32.アルク.(分かり易くコンパクト)
 木村政康.1997b.「促音の一指導法―わらべうたリズムの活用―.」拓殖大学日本語紀要7:49-69.
 町田章一・小圷博子・木村匡康・増田喜治. 1994. 言調聴覚論の輪郭. 上智大学聴覚言語障害研究センター. (新しい教師向けテキスト.)
 ロベルジュ編.1979. 発音矯正と語学教育.大修館書店.(発行年は古いが,読み応えのある本.)
 ロベルジュ・木村匡康編. 1990. 日本語の発音指導 -VT法の理論と実際-. 凡人社. (図を豊富に使用した応用編は特に役立つ.用語解説と文献表付き.)
 ロベルジュ監修. 1994. ヴェルボトナル法入門. 同.1995. 話しことば指導の技法.第三書房.(諸外国語で発表された論文が日本語で読める.第1巻の巻末に用語解説とVT法の歩みががある.第3巻は「失語症の治療」)
 ロベルジュ他. 言調聴覚論研究シリーズ.上智大学聴覚言語障害研究センター他. (テーマ別に数十冊が発行されている.第26巻は日本の言調聴覚論に関する文献集.)
 Sophia Linguistica XIV. 1975. 上智大学国際言語情報研究所.(SGAV理論解説等.pp.92-96に日本語を含む各国語教材一覧付.同XXV巻(1988)には1986年までの文献がまとめられている.)


(c) Katsumi NAGAI 1999 : Jump to the top, Centre for Research and Educational Development in Higher Education, and Faculty of Education, Kagawa University, 760-8521 JAPAN