◆◇◆◇◆◇⇒《研究室遍路》
   文学からの離叛と文学への回帰 ・・・・・・・・・・・・・・・・・渡邊 史郎

    小学校の担任の先生が六年間で一人しかおらず、幸か不幸か小説家でした。この
   素晴らしく偏介な教育過程の為に、思春期の私は気象学、音楽や哲学などを彷徨し
   たあげく結局「日本近代文学」に漂着しました。「ものになる」のはきちんと「専
   門的に」基礎をたたき込まれた分野だけである、教師は自らの子どもたちへの影響
   を過小評価してはならない、と強く思います。

    とはいえ、「文学」はそもそもの定義からして、他の分野との境界線が明らかで
   はない分野で、近代になって「文学」が詩や小説といった審美的な言語表現を漠然
   と示すようになっても、その性格は変わらない。扱う内容が世の中全体なのだから
   仕方がない。森鴎外や寺田寅彦が科学者であり、中野重治が政治家であり、瀬戸内
   寂聴が尼僧であったりするのは、「文学」の鵺の如き性格が顕在化したに過ぎない。
   日本の伝統的な歌論や随筆、そのなれの果てでもある近代の文芸評論は、殆ど常に
   哲学的な趣を帯びる。文芸評論家たち──例えば、小林秀雄や吉本隆明、柄谷行人
   といった人たちは「思想家」と名指されることがあるが、所謂学術的「哲学・思想
   」については素人である。にもかかわらず、時に知性の精髄のようなポジションに
   押し出される。これは日本の知的風土の潜在的な文芸性を物語る。……と、ここら
   辺まで、大学一年生の私は考えました。といっても、その文芸性とやらを深く考え
   ることなく、結局研究対象に選んだのが、マルクス主義文芸評論家・小説家である
   花田清輝でした。彼が論じるのは人文科学のあらゆる分野・音楽・演劇・小説・映
   画・漫画と多岐にわたり、小説家でもあり左翼運動家でもある。要するに私はいろ
   いろと読みたかったわけで、卒業論文で「ブリダンの驢馬」や「群論」という文章
   を選んで論じたのも、そこに出てくるスピノザやガロアについて、ひいては倫理学
   や組織論について考えたかったからです。青臭い私は、真の文学者は時に文芸に淫
   する程楽天的ではないと思っていました。実際、案外文学者はそうなんですけど。

    しかし、大学院以降、芥川龍之介や森鴎外、樋口一葉、中勘助などを研究するう
   ち、「文学者」が様々な分野に嘴を突っ込みながら小説や詩の形態に拘る理由の方
   に関心が移りました。小説や詩には、物語や文飾であるほかはない固有の〈認識)
   があると考えるようになりました。晩年の花田清輝が政治から撤退し歴史小説ばか
   り書いていたのは、共産党から放逐され吉本隆明にファシスト呼ばわりされたこと
   だけに理由があるのではない。彼の小説作者としての認識、正確には彼の作品その
   ものにこそ原因がある。実は、そんな風に考えて初めて、どの程度を「文学」と呼
   ぶべきかはさておき、世の政治家も科学者も教員も主婦も小学生も非常に文学的な
   生き物であり彼らの言説を「文学として」批判することで世の中をよくできるかも
   知れないという妄想を抱くようになりました。半ば冗談、半ば本気であります。

   渡邊先生のプロフィールを大学フォト内に掲載していますので、ご覧ください。


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       香川大学メールマガジン  第155号   2011年10月31日