★☆★☆ ⇒《話題!!》 
新しい時代の体育と教育について・・・・・・・・野崎武司先生に聞く・・・・・

──教育学部の中で、体育についてどのような研究をされているのですか?
のざき:子どもの自主性や主体性を大切にする教育が展開されてきた中で、子ども
たちの学力が低下したとよく言われます。いま同じように体力低下が叫ばれていま
す。子どもが自ら課題を設定し、それぞれに問題解決を行う授業は、確かに体育科
教育の中にも大幅に導入されました。また中学・高校でも子どもの選択の幅が広が
り、嫌いなスポーツ種目は行わなくてよくなりました。そうした教育改革と、今の
子どもの体力低下は、無関係ではないでしょう。しかしその反動として、体力づく
りを唱導する今の流れには、疑問を持っています。

──もう少し詳しく教えてください。
のざき:私が子どもの頃、昭和30年代から学習指導要領が、全国の子どもたちを
一律に競争させる体制へと変わって行きました。暴走族の出現などとも連動する動
きでした。
’70年代には全国一斉学力テストと同じように、体力テストやスポーツテストが
重視され、体力づくり重視の体育が全国に広がりました。実際子どもたちの体格・
体力は記録の上でどんどん伸びて行きます。しかし同じ時期に様々な子どもの「か
らだ」の問題が提起されてきます。「骨が折れやすい」「転んでも手をつくような
防御がとれない」「背中がぐにゃとして姿勢を維持できない」等、NHKのドキュ
メンタリーでも大きく取り上げられました。これはその後の様々な子どもをめぐる
教育問題の端緒であったと思っています。当時竹内常一という教育学者は、「人と
関わる技を内に含んだ文化としての『からだ』」の問題であると喝破していました。
高度経済成長期に、子どもたちを取り囲む家庭も地域もメディア環境も、大きく変
わりつつあったのです。’80年代以降に顕在化する不登校やいじめ、家庭内暴力、
リストカットなどの自虐行為、、、こうした問題の端緒は、体力づくりが推進され、
体格も体力も飛躍的に向上していた時期と重なっているのです。子どもたちの「か
らだ」を物理的な機能に焦点化して捉えることの愚かさを感じます。今教育界は、
流行の標語のようなものに目を奪われ、子どもたちの教育問題を直視しようとして
いないように思います。

──何をする必要があるのでしょうか?
のざき:それをしっかり考えていくことが私の仕事であると思っています。「人と
関わる技を内に含んだ文化としての『からだ』」というのは、現在にも響く力のあ
る言葉です。本年、香川大学教育学部の特別講演にお招きした金森俊朗(金沢の小
学校教諭)さんの実践は、一つのヒントになると考えています。金森さんの子ども
たちは、泥んこになったり、野山を駆け回ったり、川に飛び込んだりしながら、自
分だけの閉じた世界をひらきます。
しかしそれは、人間の「からだ」に野生を取り戻すためではない。あくまでも、他
者との関係へと広がりをみせる、文化としての「からだ」を育てる礎として行われ
ているのです。
「生きるってすばらしい!」そんな原体験こそが、教育の柱にならなければならな
いと金森さんは言います。今の時代に必要な教育は、個の主体性や自主性ではなく、
有意味な集団性の醸成にあるのではないかと思っています。

──「有意味な集団性」とは、少し分かりにくいのですが。
のざき:すこし曖昧なことを述べてしまいました。私は、人が育つということには、
大きく二つの局面があると思っています。一つは、配列された学習内容を着実に身
につけていくことで大きく成長する局面(設計可能なリニアな側面)。例えばビア
ノの習熟にバイエルのような教本は欠かせないでしょう。その意味では大学教育も、
カリキュラムの整備に努めなければならない。二つ目は、何かをきっかけに今まで
潜在していたものが引き出され、思いもかけぬ相貌の別人へと急激に転換する局面
(ノンリニアな側面)です。たとえば、教育実習を経てきた教育学部生は、時に見
違えるように大人っぽくなることがあります。「育った」というより「化けた」と
でも言いたくなるくらいに。とかく大学生は、メディアに毒された若者文化(恋愛
などを中核としたもの)にどっぷり浸かりがちで、逆に大人社会をクダラナイもの
として見下すようなところがあります。そんな彼らが「化ける」ときは、若者文化
集団の外部に何かを見いだしたときであるように思います。つまりは他者(外界)
との関係で、飛躍的(ノンリニア)な育ちが引き出されるのです。「有意味な集団
性」とは、居心地のいい内部に安住せず、差異や異和のある外部と交渉しながら、
絶えず内部を更新するようなものだと思います。子どもや若者に限らず、日本全体
がそんな社会となるべきだと思っています。
 金森さんの子どもたちは、本当にすごい。友達の否を率直に言い合える関係の中
で、親の離婚などの深い悩みまでクラスの中に引き受けていきます。そして大人で
も直視しようとしない障害者の問題、同和問題、環境問題などへと視野を広げてい
きます。「よりよく生きる」ことへ真摯に立ち向かっていきます。そんな集団をつ
くれる先生こそが、今求められていると思います。
 香川大学教育学部では、「未来からの留学生」という行事を行っています。県内
の子どもたちを大学に招いて、一日の体験入学を楽しんでもらいます。ここ数年、
学生・院生たちが本当によく頑張ってくれています。当日、子どもたちをあっと言
わせるために、数ヶ月の準備を入念に行ってくれています。彼らの活動は清々しく
みえます。そこには、若者言葉を交わし合い、嗤い合い、自分たちだけで楽しんで
いるような小さな姿はありません。
本当に頼もしい学生の姿をそこに見ることができます。そんな集団性を核とすると
き、教育学部のカリキュラムも、彼らに生きていくのではないかと思っています。
(のざきたけし、教育学部学校教育教員養成課程 助教授)


   香川大学メールマガジン  第47号   2006年1月12日