★☆★☆ ⇒《話題!!》 
科学が進んでも「距離」は絶滅しない・・・・・平 篤志先生に聞く・・・・・・
  
――先生は、フランス・アメリカ・韓国などでの日本系企業について研究を進めて
おられ、最近では多国籍企業についても取り上げられていると伺っています。いま
最も注目される点としては、どのような動向なのですか。
たいら:そうですね。たとえば、アメリカや日本といった先進国の企業が多国籍化
するだけでなく、中国やインドなどの途上国の企業も多国籍化しつつあることが一
つです。ただ、私は従来主として行われてきた国を単位とした分析ではなくて、国
家内の部分的な地域における日本系企業を中心とした多国籍企業の立地展開に興味
があって、アメリカ、韓国、フランスの都市部を中心として現地調査をしてきまし
た。

――都市部における企業と地域の関係、ということですか。
たいら:アメリカのテレビドラマに「ER」というのがあるでしょう。シカゴの街
が舞台ですよね。居住環境のいいところ、悪いところがあることが明確にわかりま
す。ある日本の企業がある都市に進出しようとするとき、日本国内であれば、製造
業の生産工場などを除けば繁華街などのいわゆるダウンタウンに事務所を置くこと
を考えると思います。アメリカでは、当初は同じようにダウンタウンへの進出が見
られましたが、現在は郊外への進出が進んでいます。これは、アメリカでは地元企
業の郊外化が第二次世界大戦後にどんどん進展し、日系を含めて外国系企業が現地
で本格的に事業展開しようとすると、地元企業との取引が重要になってくるためで
す。そして、結果的に日本系企業も郊外に移転していくことになります。具体的に
は、シカゴでは地元企業が都心部から移転した北部あるいは北西部郊外ですね。も
ともとシカゴ南部はアメリカの伝統的な工業地帯の一部だったのですが、日本や新
興工業国との競争に敗れて、現在はかなり斜陽化していて、居住者も低所得者層が
多くなっているのと対照的に、北部から北西部にかけての郊外では、シカゴ市の内
部から転居してきたいわゆるアメリカンドリームの成功者が多く、広々とした芝生
の庭をもつプール付きの一戸建て住宅が多く見られます。アメリカの地元企業がこ
れらの地区に移転したのは、こういった良質な労働力が移動した後を追ったのです。
日本系企業の動きは、時間差をおいてこの動きをさらに追っているということがで
きます。

――そうすると、シカゴでは発展できない企業が南部や都市中心部に残るような構
図が生まれますね。
たいら:シカゴはそれでもアメリカの都市の中で都市中心部の活気が依然として残
っている方です。メインストリートであるミシガン・アベニューではいわゆるブラ
ンドものを扱う高級ブティックや有名百貨店が軒を連ね、かなりの人通りがありま
す。しかし、人口規模であまり変わらない大阪の中心部・梅田や難波の人混みと比
べるとかなりの差があります。都市中心部の再開発はウォーターフロントの一部な
どでは進んではいますが、部分的です。第二次世界大戦前のシカゴを実験台にして
提示されたバージェスの同心円状の都市空間モデルの枠組みが今でも残っています。
一部活気を残す都市中心部、隣接して2・3階建ての古びたアパート群地域、そし
てインターチェンジ付近など交通の要所にビジネスパークやショッピングセンター
が点在する庭付き一戸建ての立派な住宅が建ち並ぶ郊外地域、という構図です。

――そのような「都心」対「郊外」に、企業の立地戦略がどう絡まるのでしょうか。
たいら:多国籍企業になっても、企業の出身母国での立地指向が進出先にも当初は
持ち込まれるようです。特にサービス業企業でこの傾向が顕著なような気がします。
日本では、その都市中心部の表通りに店や事務所を構えることがその企業自体のス
テータスを表すことがよくありますが、シカゴに進出する際にも同じように考える
わけです。しかし、しばらくして都心部が必ずしも最適地でないことに気づきます。
つまり最適地は郊外にあることがわかってきて、では移転しようということになる
わけです。外国という異国の地で成功するための一つの鍵は、現地化です。したが
って、この郊外への移転は空間的な現地化ということができます。最終的には、
「NINTENDO」「Panasonic」などのように、アメリカ人がその企
業をアメリカの企業だと勘違いするまでになることです。

――現地で看板を見ると、日本企業とは思えないところもありますよね。恐るべし
日本企業、ですね(笑)。とはいえ、発展した企業ばかりではないでしょう。
たいら:地域の変化にいかに対応できるかが重要なポイントです。また、日本系企
業に勤める現地スタッフの視点も重要です。従業員の現地化はかなりの程度進んで
いるのですが、他の外国系企業と比べて管理職の現地化が十分に進んでいません。
すなわち、現地スタッフにとっては、どんなに頑張って仕事の成果を挙げて昇進し
ても、最後にはガラスの天井が存在して現地法人の最高責任者になれない場合があ
るのです。ヨーロッパ系の企業などでは、トップも現地スタッフに任せる傾向にあ
るのですが。

――つまり、アメリカに立地しながら、その企業の中に日本そのものを持ったまま、
ということですね。
たいら:日本企業は、欧米企業と比較して母国の親会社の監督力(これを域外支配
といいます)が強い特徴があります。人事におけるガラスの天井の存在も、現地の
トップとの日本文化に裏打ちされた日本語でのやりとりを重視している現れともい
えます。とはいえ、出身母国文化の影響は、どの国の多国籍企業にもあります。親
会社の本社の場所を他国に移す例は、アメリカの多国籍企業を見てもほとんどあり
ません。つまり、企業は多国籍化しても、無国籍化はしないということです。多国
籍化するといえば、最近、連絡事務所設置を通じて大学も他国に進出するケースが
多く見られます。大学経営にも企業マインドが重要視されるようになって、企業の
こうした多国籍化プロセスを大学が追いかけている、ということでしょうか。その
うち日本の「国立大学法人△△大学北京キャンパス」も誕生するかもしれません。

――大学ということで考えると、情報システムの発展によって、他国や他地域への
進出は必ずしも必要ないのではないですか。
たいら:しばらく前、「距離の絶滅」や「地理の終焉」が叫ばれたことがあります。
情報通信技術の発展によって、たとえばニューヨークの株式市場の動向が瞬時に日
本の企業の売り上げに影響を与えるようになりました。けれども、地理学者のひと
りとしては「どんなに科学技術が進んでも距離は絶滅しない」と言いたいですね。
シリコンバレーの事例からも、人間的な「フェース・トゥ・フェース」の関係が欠
かせないということが明らかにされています。インターネットを使ってのコミュニ
ケーションがもてはやされる今日ですが、やはり、直接のコミュニケーションは大
事でしょう。遠距離恋愛はその典型だと思いますが(笑)。授業を受けるにしても、
臨場感という点では生の授業の方が上でしょう。でなければ、地方に大学教員はい
らないということになってしまう。

――ところで、あらためて気づくのですが、ご専門の分野は地理学ですよね。とて
も幅広く、多様な研究をされているようですが。
たいら:私は、学部は文学部文学科仏文専攻卒です。もともと社会(地理)と外国
語に興味があったんです。卒論を書く頃には、大学院で地理学を学びたいと思うよ
うになって、卒論の領域は仏文と地理学を橋渡しできそうな言語地理学を選びまし
た。具体的にはフランスと日本を対象地域として、それぞれの方言地図を資料に、
方言の分布と伝播について比較分析しました。たとえば、山地や河川や行政界の存
在が方言の分布にどう影響しているかといった点です。

――方言の研究が、いかにして多国籍企業の研究に移行していったのでしょう?
たいら:大学院に進学した頃には、都市や社会に関心がありました。修士論文では、
都心の過疎化とコミュニティの変容をテーマに、古本屋街のある神田で現地調査を
行いました。日系を中心とする多国籍企業研究を始める直接のきっかけとなったの
は、アメリカのウィスコンシン大学大学院へ留学した際に、ある学期に履修した経
済地理学のゼミで、ゼミ論として中西部イリノイ州に進出している日本企業につい
て調査したことがあります。そのテーマがその後博士論文のテーマとなりました。

――最近は、フランスや韓国でも調査されていると伺っています。また次の機会に
は、是非、これらの国々での研究の成果について紹介して下さい。今日は楽しいお
話をありがとうございました。益々のご活躍を期待しています。
(たいらあつし、教育学部助教授、人文地理学)


   香川大学メールマガジン  第27号   2005年1月27日