★☆★☆ ⇒《話題!!》
生活、町、変容・・・・・・・・・時岡晴美先生に聞く・・・・・・・・・・・・

――阪神にあらずんばタイガースにあらずという昨今ですが、歌の世界にもタイガ
ースという、一世を風靡したグループ・サウンズがありました。
ときおか:はい。私は小学生のときからその忠実なファンでございます(笑)。

――とりわけジュリー、こと沢田研二の熱心な支持者とお聞きしております。でも
もうファンなんてほとんどいないんじゃないんですか。
ときおか:失礼な(爆)。コンサート会場は今でも満員です!!ただ私も最近は
「OH!くん」の方に少し心を移してまして。ご存知ない?某テレビ局のマスコッ
トグッズです。でもこんなこと書かれたら学内中に知れてしまいますね。

――われわれのメールマガジンは学内だけではなく、全国津々浦々です!ここでい
きなり先生の研究の話に突入するのも少し勇気がいるんですが、学位論文は『中小
自営業集積地域の居住・営業の将来像に関する研究』(1996)、サブタイトル
が「家業と家族のライフスタイルの変容分析から」ということですね。
ときおか:はい、長くてすみません。学生時代は家庭経営学、家政学原論といった
ことを勉強してきたわけですが、私の関心はずっと家庭生活とはなにか、ひいては
人間の生活とはなにかということにありまして、その実態と構造を明らかにしたい
と思いつつ今日に至っております。

――フィールド調査が中心ですか?
ときおか:文献研究ももちろん致しますが、これまで備前、琴平、京都などで継続
して調査をすすめてまいりました。備前は大学生の頃から調査しています。備前焼
き作家のお宅に伺いまして、11軒で各8日間ずつ生活行動の実態調査をしました。
私たちの世界では「石になれ」という言い方をするんですが、じっとして、存在さ
えも気づかれないようにして、私自身が石になって観察するんです。もっともその
家の子どもさんになつかれてしまうと、話しかけられて困ったりしましたが。

――石になれですか...。「私は貝になりたい」という名作ドラマもありました。
ときおか:古いことは存じません(笑)。興味深いのは同じ職業でも家族ごとに、
行動の型があるということですね。たとえば食後に団らんがあって後片づけをし自
分のことをするという行動パターンがくり返されるとします。ところが同じ職業で
ありながら、家族や個人によってパターンが異なったりするわけです。なぜ異なる
のか、それが個性によるものなのか、地域性によるものなのかまだはっきりわから
ないのですが、少なくともそれが各家族固有の文化だとは言えますね。

――備前のあと、琴平、京都と調査がつづいていきます。
ときおか:それぞれがほぼ10年単位で行なわれています。ご承知のように琴平は
旅館やみやげ物屋さんの多い所で、金比羅さんの表参道の町並みは石段をうまく利
用しています。段上に隣り合うために隣接する住宅の1階と2階が接する形になっ
ています。日常生活は、昼は1階の店鋪で、夜は2階の居室でという住み分けが可
能で、その結果、プライバシーが守られ、日照が保証されます。しかしひとたび町
に大規模なホテルができると、影響が生まれます。しばしば町並みが変わるだけで
なく、他の旅館の経営や生活全体にも影響してくるんです。

――なるほど。
ときおか:あの弥次喜多も金比羅参りにやってきましたが、昔の旅は基本的に少人
数で、到着したら宿を決めて草鞋を脱ぐというスタイルです。旅館の客引きも活発
で、狭い地域の隣接する旅館どうしが競いあいますから、客室が満室にならないか
ぎり、おかみは家の中に入れてもらえないなんていう時代です。鉄道旅行全盛にな
りますと、数百人規模の団体を受け入れるために旅館が協力する必要があります。
旅館の主人たちが駅で楽器を演奏したり公会堂で素人芝居をして歓迎しました。と
ころが、バス旅行に変化すると、団体は数十人で大規模旅館1軒で賄える規模にな
ります。このため大規模ホテルが建ち、宿泊も娯楽も温泉もみやげ物もすべてホテ
ル内で足りるので、観光客が町を散策しなくなります。町をあげてもてなすスタイ
ルが失われて、だんだん町そのものからにぎわいが消えていくんです。

――おかみや従業員の生活も大きく変わったんでしょうね。
ときおか:1960年代ぐらいまで、従業員はチップ制、もちろんおかみに給料は
出ません。1980年頃までおかみは買い物にさえ行ったことがない。休みの外出
もそんなに遠くへは行かない。食事はまかないですし、家事も旅館の従業員の仕事
に組み込まれている。娘の話し相手も従業員だったりする。これが給料制の導入さ
れていない時代の一般的な形でした。ところが給料制が導入されると、家事が分離
することでおかみに家事労働が発生し、おかみが一つの職業だという意識が生まれ
ます。平成になって、3人の娘さんがいる旅館で三女が若おかみを継いだんですが、
彼女の意識ではおかみはいろいろな職業の選択肢の一つだったんです。新しいおか
みの今後の生活形態が、町にどう影響するのか興味深いところです。

――京都の場合はどうですか?
ときおか:京都の町家は建築的に完成されたものです。京町家の構造は入り口から
裏口まで通り抜けの通り庭という土間があり、土間には台所があります。通り庭の
おかげで夏は風通しが良く、煙も外にぬけます。天井の明り取りからは日光が差し
込む。ところが現代のように個人の生活を優先するとなると、たとえば台所にシス
テムキッチンが入る、エアコンが取りつけられる。そうなると密閉空間ができて、
家全体の風通しが悪くなるというように、次々に変化が連鎖するわけです。元の構
造に戻そうとしても、クギを使わない京町家を維持するための大工さんの技術がな
くなっている。立派な木造家屋は手入れをきちんとすれば200年300年もつも
のなんです。特に老舗では、町家が建て替えられますと町並みに与える影響も大き
いですし、代々住み続けていた経営者が転出すると地域の生活全体にも大きく影響
することになります。老舗経営者の方々も悩んでおられるところです。これは京都
に限ったことではありませんが。

――伝統と近代化の相克ですね。
ときおか:老舗調査を行なったあとは、報告会をしました。この報告会を通じて町
家を守るネットワークも出来ました。私たちも研究者としてできるだけ客観的な提
言をするように努力しています。香川大学の授業でもいろいろな材料、資料を学生
に提示しながら“考える授業”を心がけているところです。

――今日は長時間にわたり、興味深いお話をありがとうございました。今後ともご
活躍ください。
(ときおかはるみ、教育学部助教授、生活経営学、生活社会学) 


   香川大学メールマガジン  第3号   2003年11月13日