★☆★☆ ⇒《話題!!》
息をささえる場所・・・・・・・・・・・・薦田義明先生に聞く・・・・・・・・

 このたびドイツおよび国内各地でコンサートを終えたばかりの薦田義明先生に、
晩秋の一夜、研究室におじゃまして、あれこれ音楽よもやま話をうかがった。

──研究室にグランドピアノがあるというのは分かりますが、姿見やら大きめの壁
掛け鏡は、これは何に使うんですか?薦田先生はナルシスト?(笑)
こもだ:え、もうインタビュー始まってるの?あそう。はいはい。いやこれは必要
な道具なんですよ。声というのは自分に聞こえてるのと人に聞こえる声では違いま
すよね。録音の声でも分かるでしょ。自分の姿も自分のイメージしているものと、
見られている姿は違うんです。評価されるのは客観的な姿。これは歌の練習で怒り
の表情や、感情表現、しぐさを矯正するための道具の一つなんです。

──なるほど、そういうことですか。ところで10月にドイツで2回、日本に帰っ
て11月には高松、岡山、横浜の4カ所でコンサートを開かれたということですが。
こもだ:ぼくとドイツ人のピアニストの二人で、シューマンの歌曲を演奏しました。
ドイツでの1回目のとき、100人位のホールに80人ほど入っていたんですが、
最前列の、ぼくが歌う2、3m先に50代半ばの夫婦連れがいましてね。腕組して、
東洋人がシューマンのロマンチックな歌曲を歌う?歌ってみいって顔してるんです
よ。なんか場内の空気も冷たく感じていたんですが、1時間後、いい拍手がもどっ
てきて、自分の思い過ごしだったと分かりました。ドイツ人の前でドイツ歌曲を歌
うということで、ぼく自身が少し緊張していたのでしょうね。

──クラシックと聞きますと、私なんかつい構えてしまうところがあります。
こもだ:そういう面のあることはたしかです。ですが知識ではなく、まずナマの音
と向かい合うこと、それがとても大切なことです。家を出て、コンサート会場に向
かい、音楽の中に数時間浸る覚悟、意志ですね。その中で美しいと感じるなり、気
持ちのよさ、心地よさを感じること。ぼく自身、クラシック音楽の中に浸るとき、
いろいろなことが思い浮かびます。ほかのジャンルの音楽を聞いていてもやはり思
い浮かびますが、それぞれは別種のものです。精神の配置といいましょうか、組ま
れ方といいましょうか、そこがちがってきます。音は無意識の部分に暗示を与えて
きます。音楽を通して知性、感性をみがく旅というんでしょうか。音楽には、人間
の感情や思考、世界観から倫理観までもが包含されているので、音楽に親しむなか
でぼくたちは無意識にせよ、心の形成をしていることになるんです。

──以前パリ四重奏団の人たちが早朝から練習をして、午後に本番があり、それが
終わるまで何も食べないと聞いたことがあるんですが、薦田先生は?
こもだ:あ、ぼくは食べます。食事というのとちょっとちがうんですが、本番の
3〜4時間前にリハーサルを終えて、1時間前位になったとき何か口にいれます。
液体か、固形物かっていえば固形物ですね。おにぎりとか、サンドイッチ。弁当が
出るときは半分くらい。ぼくの場合、固形物をノドに通すことが一つの区切り、儀
式になっていまして、意識をそこできりかえるわけです。同時に、本番までの疲れ
を取り去ってよみがえるんですね。もちろん本番のあとはぐったり疲れますから本
格的な食事はそのあとということになります。リサイタルやオペラの後はいつも1、
2キロは体重が減りますね。ええ、心地よい疲労ということですが...。

──いちばんお好きな作曲家は誰ですか?
こもだ:ドイツ歌曲では、これまでシューベルトとシューマンを中心にやってきま
したが、そうですね、誰かが言ってましたが“今やっている曲がいちばん好き”っ
てことでしょうか。今後のリサイタルでとりあげたい作曲家はリヒャルト・シュト
ラウス、グスタフ・マーラー、ヴォルフ、ブラームスなどですね。オペラですか?
オペラに出演するのもたいへん楽しいですよ。衣装があり、舞台があり、照明があ
り、メークをして伯爵なら伯爵という1人の役どころを演じ切る楽しさ。歌い手と
役者の両方をやるわけですが、初めの頃は二つがうまくからみませんでした。面白
いもので歌のうまい人は演劇もうまいんです。双方が同じレベルでからみあったと
きが最高潮です。

──つかぬことをうかがいますが、アガリますか?
こもだ:アガリますよ。ただ昔と今ではちがいます。昔は観客を前に、我を忘れて
夢中で歌うというあがり方をしてましたが、それはたぶん技術的にも精神的にも未
熟なために、歌うのに最も大切な息をささえる場所を見つけていなかったのだと思
います。今は適度の興奮とでもいいましょうか...。

──息をささえる場所ですか。面白いですね。もう少し分かりやすく話して下さい。
こもだ:アガルという言葉は、呼吸の支えがあがる、つまり息の支えが浅いという
ことだと思います。心配や不安があるときにこの状態になります。声を支える部分、
息ですね、息は体が支えますが、息をいかに正しく音化していくかということです。
若い人でよく旋律に酔って歌ってしまう人がいます。歌は歌いながら理性と感性が
融合するように、自分でそれをチェックしながら歌うのでなければなりません。と
ころが自分でチェックできずに歌うと、聴衆は無秩序を感じ、自分たちが見過ごさ
れているように感じます。この状態では感動や心地よさ、気持ちのよさは生まれま
せん。アガルというのは舞台に立ったときの、自分の心と体を支える場所、置き場
所が考えられなくなった状態です。これは日頃の練習で、理性(チェックする力)
と感性のバランスがとれるように訓練し、うまく歌える状態をいつでも作れるよう
にしておかなければならないということです。あとは練習通りにやればいいので、
自分に生じる無秩序のためにアガるということはなくなります。

──やはり練習ということでしょうか。
こもだ:練習ができていれば、本番はその延長です。ところがぼくも昔は、練習よ
り本番でうまくやろうなんていう意識がはたらきまして...。そういうときは、
誠実な音楽ができないのです。

──だいぶ時間もたちました。この辺で終わりにさせていただきます。いろいろと
興味深いお話をありがとうございました。
(こもだよしあき、教育学部教授、声楽、合唱指揮)

かがわだいがく Mail Magazine  第12号  2002年12月5日